もう2024年始まって3週間も経ってしまいました。。。ご挨拶がおそくなり、
大変申し訳ございませんm(_ _)m
2023年も当ステーションにご支援、ご指導、ご協力頂き本当にありがとうございました。2024年もスタートしておりますが、今年も引き続きご支援、ご指導のほどよろしくお願いいたしますm(_ _)m
そして2024年1月1日
能登地方を震源とする大規模地震が発生いたしました。
このたびの震災によりお亡くなりになられた方々に謹んでお悔やみを申し上げますとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
また今もなお、被災者の救済と被災地の復興支援のためにご尽力されている方々に深く敬意を払います。
皆様の日常が一日も早く戻りますよう被災地の復興を心より願っております。
1月4日朝のミーティングの中で能登半島地震について触れました。被災地の現状が徐々に明らかになっていく中で、能登地方での医療現場、介護福祉現場、特に訪問看護はどうなっているのだろう、川崎に住む私たちは何ができるのかという話しました。見守ることしかできない、義援金を送ることしかできないけれど、わたしたちは今目の前にある利用者をまず守り、通常の生活を継続することが一つの支援なのではないかを話しました。正直正解かわかりません。
私の実家も東日本大震災の際に被災し、両親はしばらく避難所生活となりました。飛んで実家に帰りたかったけれど、寝るところも食べ物もないところへ何をしていいのかわからず右往左往してしまう自分が帰ってきても迷惑と両親に止められ、とにかく川崎から見守ることしかできませんでした。不自由なく過ごす自分がすごく申し訳なかったし、ニュースを見て自分が生まれ育った場所の変貌がとてもつらかったし、何とも言えない気持ちで数か月過ごしていたことを思い出します。今、きっとご実家や親族、お知り合いの方が被災されて、助けに行きたくてもいけない現状にすごく心を痛めている方はたくさんいらっしゃると思います。私は気持ちのモヤモヤをどうやって乗り越えたのかは残念ながら覚えていません。ただ被災した両親や親族、友達に会って、笑顔を見て安心して涙が出たことは鮮明に覚えています。復興にはどうしても時間がかかります。でも絶対に笑顔で再会する日が絶対にきます。見守ることを続けること、こまめに連絡して自分は離れていてもいつでも見守っていることを伝えること、助けを求められたらすぐに対応する事、遠く離れてできる支援なのかなと思っています。
先ほどの述べましたが、被災地の1日も早い復興を心より願い、能登にたくさんの笑顔が当たり前のようにあふれる日常に戻れることを願っております。